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カフェの学校に通い、カフェを開業しようと思ったきっかけの特集パート3(カフェコースの受講生の声)

 受講生のカフェ業界で開業をしようと思った最初のキッカケや、カフェ開業の夢に踏み出そうとしたキッカケ、決意をまとめました。

 

1.カフェ業界で開業をしようと思った最初のキッカケ

 

★私は7年間、街場の厨房やホテルの厨房で働きました。しかし、慌しい仕事の中で、自分が提供したいものが解らなくなり、建築業界に移りました。建築業界では、制作に集中出来、そこで質とスピードについて学べ、不満はとくになかったのですが、長年の夢であった中国拳法に入門し日々練習をする中で、この特定の業種における絶対的な時間制約に気付きました。きっかけというものをシンプルに表現するなら、「練習時間を毎日きちんと確保したい」ということになります。しかしそういった不満からその解決を考えた時に、選択肢の中に別のメリットや使命を果たせる大きな可能性があることに気付きました。趣味として学んできた葉巻やパイプなどの煙草製品とワイン・リキュールなどの知識も成熟し、その知識と建築で学んだ作るということへの向き合い方を合わせれば、理想の自分の店が作れると感じるようになりました。

 

★私が最初にこの職種を選んだ理由は小さい頃にケーキを食べたことがきっかけです。                   

年を重ねる毎にその美味しさだけではなく、様々な形に惹かれ、また様々な場所で老若男女問わず食べ

られている物を自分で作ってみたいと思っていました。そんな中20代半ばになり、仕事をやり始め再度挑

戦したいと思い、思い切って入学しました。

 

★キッカケは1台の移動販売車でした。私は16年のサラリーマン生活の中で、会社の歯車でなく、自分で自分自身のために働きたいと考えてきました。そんな折に見つけたのが、自動車による移動販売でした。これは自分の為にマイペースでできる仕事だと思い、飛び入りで仕事を手伝わせてもらいました。業種はピタパンとスープの販売です。そこで自分に何か売りになるものはないかと考えました。まだ自分には何も無い。これは1から学ぼうと考え、リライブの門をたたきました。そのうちに食の世界には色々な業務形態があることを学ました。移動販売だけではなく、自分にはもっと色々な可能性があることに気付き、それを模索しています。

 

★高齢の母の面倒を見ながら働ける仕事は何かと考えた結果がカフェでした。母が本屋兼実家で一人暮らしをしています。母が自ら始めた小さな本屋を何とか気力だけで営んでいますが、コンビニや近隣大型書店に客足が流れている今の状況ではそう長くは続けられるわけもなく、既にリタイヤをほのめかしています。今はまだ母を慕って訪れてくれるお客様がいるから元気に仕事を頑張っていますが、リタイヤした途端にボケと体力低下が始まるのは安易に想像できます。両親が苦労して築いてきた本屋であり父が自分で工事して建てた実家ですから長男として何かやるべきであり、母のサポートも考えて後に実家(山口)にUターンする事を考えました。しかしながら私の仕事はイベント制作/舞台制作/ファンクラブ運営という業務で、山口に帰った所で同様な仕事がある訳ではありません。そこで本屋は残しつつ、私も日常的に利用するカフェを併設する事で母の余生を見守り、自分の第二の人生を築きたいと考えました。

 

★私は学生時代より今に至るまで、中国関係の研究および仕事に深く携わってまいりました。その過程で中国の茶文化の奥深さ・多様性、中国茶の香り高さ・味わい、中国人の茶に対する造詣に深く感銘を受けた次第です。とくに各地に存在する茶館(中国茶の伝統的な喫茶店)の持つ文化的空間美、そこに集う人々が世俗を離れて癒されていく様子、店主との交流、そして国籍も肩書きも存在しない独特の超越した雰囲気などに大きな魅力を感じ、興味を覚えるようになりました。そして将来、こんな茶館を日本で開業し、中国茶および中国茶文化を広く日本人に広め、自分なりの日中文化交流の架け橋にしていきたいと思うようになりました。

 

★新卒から7年間ライターとして活動し、特に旅行雑誌の仕事に積極的に取り組んでいました。旅を通じて、飲食店やホテル・旅館、生産者などさまざまな取材をしてきましたが、なかでも食文化に関する分野に強い興味を持ちました。自身でも情報収集を熱心に行い、取材を通して新たな情報や味に出合えることに大きな喜びを感じていました。母親が料理好きであることも影響してか、子供のころから料理を作ることが好きでしたが、ライターの経験は、さらに食材や料理に関する興味を深め、食材を探したり、自身で料理を考えたり、さらには他人に味わってもらう楽しさへのきっかけになったと考えます。

 

★10年位前から、旅行先や近所のカフェを回るのが楽しいと感じていた。特に海外ではその国の風土や食文化とコーヒーや紅茶の提供の仕方に特徴が出ていて、おもしろいと感じていた。例えば、大手のカフェであるスターバックスでも日本、韓国、ハワイでは微妙に違う。当然カフェラテはカフェラテの味で同じように出てくるのだが、壁の絵や売っているマグカップ等が其々の国の絵柄になるなど変化がある為、味の安心感とくつろぎとともに異国の風を感じられ、おもしろいなと感じた。最近では、コーヒーと本を楽しむくつろぎの空間として、楽しめるようにもなってきたので、自分でもそういう空間を提供できたらいいなと考えていた。

 

★小学生の頃、私の親が喫茶店を経営していました。お客さんも多く心地よい雰囲気、働いてる人たち皆が楽しそうに見えました。自分もこのまま働いちゃえば楽しいの延長だな、とヌルい考えを抱いたのが最初だったと思います。「自販機で70円で買えるコーラにお客さんはどうして250円払ってるの?」と親に質問した記憶があります。「居心地にお金を払ってるのよ」と云う親の答えが大人になってから理解できました。20代の頃より定年後の第二の人生はサラリーマンでは無く、飲食関係の自営業をしたいと考えていました。コーヒーが好きで若い頃より喫茶店で新聞や雑誌を読みながら過ごすのが好きで、だんだん自分も定年退職後の第二の人生は自分の好きなカフェを開業してお客様にコーヒーや軽食を出したいと思ったのがキッカケです。

 

★とにかく実店舗のある「お店」をやりたい。1.学歴や年齢の問わない業界 2.やる気さえあればやっていけそうな業界 3.比較的に、為替やら政治政策やらのマクロ環境に影響されにくい業界。飲食界と思いました。普通のカフェなら、料理の味に対する要求は料理屋ほど厳しくなく、参入しやすい感じもあって、カフェに決めました。もちろん、やっていくうちに、料理の味のみならず、ドリンクの味もサービスの質も全体的レベルアップしなければなりません。

 

★10代の頃は、漠然と喫茶店をやりたいと思っていました。それは、おしゃれに盛られたスイーツやパフェが好きで、自分で作りたいと考えていました。しかし当時はどのように開業したらいいかわからない!おまり利益にならないとの意見もあり、あきらめてOL(事務員)の道に進みました。けれども、現在自分でも友達とか カフェを利用することも多く、すてきなカフェで美味しいスイーツが出てくると、夢が広がります。 

 

★主人は大学の4年間、寮の近くの喫茶店でアルバイトをしました。 店主 常連客とのつながりも生まれ 仕事も楽しく 将来 喫茶店をやれたらと思ったそうです。二人でよく通った喫茶店の存在も大きいです。 ヨーロッパ名窯のカップの並ぶ,寡黙な店主の店で、なんとも心地よい時間を過ごせました。 私もいい店だなと夢をもちました。   

 

★大学時代、ふらっと立ち寄ったカフェの雰囲気がとても気に入りました。それがきっかけで、休日などにカフェを巡るのが趣味になりました。色々なカフェを見ていくうちに、自分の理想の店を作りたいと思いました。

 

★企業内デザイナーとして32年間勤めてきました。腕時計のデザインを20年近く、また最近ではプロジェクター、プリンターのデザインやユーザー調査、中期戦略策定をしてきました。元々絵を描くのが好きで、大学をデザイン系の学科を出ました。自分の趣味がそのまま仕事になり、仕事は本当に楽しいものでした。しかし、だんだんと年齢が上がってゆくにつれ、クリエイティブな業務から離れ、絵を描くことが無くなってきました。残りの会社生活をこのまま続けるのではなく、クリエーティブな活動をしてゆきたいと思ったのがまず最初の動機でした。クリエーティブな生活とは、「モノ作り」です。手芸やクラフトです。企業のデザイナーは、絵を描いたり(スケッチ、レンダリング)図面を作成することはしますが、実際のモノ作りは川下の人達が請負ます。会社にいたころから思っていたのは、自分の手で何かを作り出したい。という想いでした。

まずは、自分にできる「モノ作り探し」から始めました。木工、ビーズ、人形、フェルト手芸、カルトナージュ、洋裁、と数々の教室に通い、捜しました。ある日、「ニットカフェ教室を開講しましょう」という講習会に参加しました。これは、ニットを教えるのにカフェを場所として借り、教室が終わった後に受講生の皆さんでそこのカフェでケーキやお茶をする、という内容でした。私はこれだ!と閃きました。単に飲食ではなく、まず「教室」ありきで。自分で作るだけでなく、人に教える。そして、教えた後に皆でお茶を飲み、ケーキを食べる。そんなカフェがあったら。しかし、そのカフェを運営するためには、ドリンクもケーキも自分でできたら固定費は発生しません。ということで、私の飲食を選んだきっかけは、二次的な動機なのです。

 

★まず、自分のクリエーティブな「モノ作り」を実現し、それを人に教える。そこでドリンクとケーキ等を提供したい。それを作るのは自分。というストーリーです。会社を退職するのを定年退職と設定したとき、このように時間と体力を使い、学校へ通ったりすることができるでしょうか?今はまだ体力もあり、早起きして学校へ通うこともできます。60歳過ぎてはたぶん難しいです。また、今の会社は、56歳の誕生日前まで「選択定年制度」を使うと、退職金の割り増しが受けられます。そうした金銭的な理由も大きいです。その金額と60歳までの給与を計算したら それは定年までいる方がメリットがあるに決まっていますが、後は精神的な充足感です。やはり、今のまま「つまらないな~」と思いながら仕事をする精神状態はあまり幸せではありません。家族の反対もなく、会社を辞めることを後悔しないのであれば、という条件で許可をもらっています。

ビジネスの可能性としては、カフェありきではなく、あくまでも「教室」がメインと考えています。それともう一つ、場所のこだわりがあります。自分の所属する常会内での開業です。それは何故かと言うと、地元住民 特に定年以降のおじちゃんおばちゃん達が憩える場所にしたかったのです。教室と言っても手芸やクラフトだけでなく、碁会所でも良いですし、料理教室でもなんでも良いのです。毎日行くところが無く、朝からカラオケに行くおじちゃんおばちゃん達が楽しめる場所になれば といった目的もあります。あまりコンセプトが発散し過ぎるのは良くありませんが、キーワードとしては「カフェ」「手芸・クラフト教室」「地域住民」ということになります。周りにはカフェはあまりありません。先日すぐ近所に「コメダ珈琲」ができました。物凄いライバルですが、そうは脅威には思ってはおりません。教室がメインだからです。そうした形態の飲食店は周りにはありません。教室は色々とありますが、カフェ併設な所は1店もありません。そうした意味では機会はあると思っています。

 

★彼の夢が飲食店を開業したいという事だったので、開業の準備をしていく内に私の夢にもなっていったのがきっかけです。

 

★私は幼いころから鉄道が好きで将来は機関士になりたいと思い、電車運転士になりました。鉄道で色々な所に旅行して、見聞を広め、色々な出会いや発見をするのが好きです。また、それが高じて鉄道グッズや模型をたくさん集めています。電車運転士になり7年が経った頃から、この趣味を自分だけでなく、他の人と共有出来ればもっと楽しいと思い鉄道喫茶ならば有効に使え、可能なのではないかと考えるようになりました。

 

★私が小さい頃、兄が喫茶店に食材、器材を卸す会社に入った事で、家でも度々兄がサイフォンを使いコーヒーを入れる様になり、飲めないながらもその香りに虜になっている自分がいて、美味いと言いながらコーヒーを飲む父がいて、喫茶店とは一日中こんないい香りがしていて、大人を魅了するカッコイイ仕事なんだと興味を持ちました。

 

★私が就職を考えた昭和49年は、高度経済成長期の日本としては珍しく就職難の年であった。前年の昭和48年には、第4次中東戦争が勃発し、そのことにより第一次オイルショックが発生した。後に昭和史の負の一断面として、トイレットペーパーの払底に伴う混乱の様子がしばしば取り上げられる昭和48年であるが、ようやく中古とはいえ自分の車を持ち、ドライブの楽しみを覚え始めた私にとっては、ガソリンの値段が瞬く間に1リットル60円から100円に値上がりしたことが忘れられない記憶として残っている。このような社会状況の中で、民間企業は大きく採用を控えたため、私は公務員の道を選んだが、就職が決定するまでの不安な状況の中で、もし就職できなかったこうしようと考えた仕事が3つあった。一つは”喫茶店のマスター”であり、もう一つは”古本屋の主人”であり、今一つは”花屋”であった。学生時代の私は、本屋・古本屋で文庫本を一冊買っては喫茶店でコーヒーを飲みながら読むことを無情の楽しみとしていた。そのことが、「もし就職ができなかったら、アルバイトをしてお金を貯め、いつか喫茶店、あるいは古本屋をやりたい」という当時の夢につながったのだと思っている。しかし、幸にも就職をすることができ、その後の長い期間、文庫本を買って喫茶店に入るという習慣は続いたものの、青春時代のほんのわずかな期間であるにせよ、自分が喫茶店の主人にりたいという夢を抱いたことなど忘れていた。

 

★子供の誕生日に同僚の奥さんがケーキー作りが趣味でケーキを作ってもらいました、その時にケーキ代金の支払いと作っていただいたケーキを取りにわざわざ取りに行かなくてはならず結構めんどくさいなと思い、誕生日の度にめんどくさいと思っている人は自分だけではないはずだ思いケーキって買いに行かないと食べられなく自宅や会社に届けてくれたらいいのになと思いパソコンで生のケーキを届けてくれるところを探しましたが冷凍で届けてくれるところも少し位しかなく生のケーキをその日に届けてくれるデリバリーの仕事を思いつき、その後7~8年経った今でもケーキデリバリーのお店は無く、なければ自分で開業すればいいんだと思い自分の仕事上お客様あっての仕事だったので自分でケーキを作り顧客管理をしながらケーキのデリバリーの仕事ができるなと思い50歳になった今始めることに決めました、それが 食の業界を選んだきっかけです。

 

★今年の夏頃、カフェを開業したいとおもいました。きっかけは、近隣にたくさんの公園があるのに、休めるカフェがないことに気づいたからです。15分ぐらい歩けばカフェはありますが、子供はお断りのカフェなのです。もし公園の近くに子供も一緒に入れるカフェがあればと思った事がきっかけです。

 

★私には、18年ほど前、兵庫県西宮市に現在の妻と行きつけのカフェがありました。そのカフェは、座り心地の良いソファとモッツァレラチーズを絡ませたトマトソースのパスタが特に印象的で、妻と日頃の出来事や二人の将来についてに語ったり、自分の家のように落ち着ける空間でした。自分が提供する椅子などの家具やメニューなどに対して共感して、繰り返し来てくださる方が居てくれるということは、とてもすばらしい事だと思い、カフェという業界に興味を持っていました。

 

私は、大学卒業後、銀行に就職し、収入や労働時間について安定した日々を過ごしてきました。入社一年目は、毎日が学びと反省の連続で、自分自身を省みる余裕などないままあっという間に過ぎていきました。ところが二年目になり、仕事にも慣れてきた頃、自分がやりたいことは銀行業務なのか、このまま一生サラリーマンなのか、という疑問を抱きはじめ、今までと全く違うことをやってみたい、自分の足で立ちたい、という思いを強く持つようになりました。自分に何ができるのか考えているうちに、大学の頃、時間を見つけてはお気に入りのカフェに行って、本を読んだり課題をやったりしながら、自分の好きな時間を過ごしていることを思い出しました。誰しもが「自分の好きな時間」を何かしら持っていると思います。私自身その時間を大切にしていきたいし、他の誰かにもその時間を大切にして欲しいと思っています。そして自分がその場を提供できる人になりたい、と考えるようになり、いつか自分のカフェを開業するという夢を抱くようになりました。

 

★私は小さい頃から食べる事、特に甘いものを食べる事が大好きでした。また、ケーキは誕生日やクリスマスなどお祝いごとに欠かせなかったり、自分で作ったものを家族や友達にあげたりするととても喜ばれるので、それが嬉しくて最初はパティシエという職業に興味を持ちました。 それから喫茶店やカフェという存在を知り、家族や友達、または一人で行くようになり、カフェという空間に興味がいき、そこで働きたいと思うようになりました。                        

 

★私は、小さい頃から母親の作る料理やお菓子が大好きです。さらに美味しそうに食べている人の顔を見るのが好きで、それをキッカケに「料理(お菓子)」と「空間」を作るということに強い興味を持ち、この両方を兼ね備えた分野がカフェだと思い、この業界を選びました。

 

★飲食業界への興味は、高校3年生の時、イタリアンレストランのキッチンでアルバイトをしたことがきっかけです。店のつくりがオープンキッチンだったため、お客様のすぐ目の前で調理をする格好になり、「きびきび働いているスタッフの姿も、お客様が快適に過ごすための商品だ」とチーフに教えられました。また、自分が作ったデザートを、小さい子どもたちが、目の前でおいしそうに食べる姿を見て、「食べ物は人を笑顔にする、その雰囲気も人を幸せにするのだ」ということを実感しました。また、大学生になってから、居酒屋でホールの接客を通して、おいしそうにお酒を飲んで、会話がはずんでいるお客様の姿を見て、その場を提供することの楽しさや充実感も感じました。

 

★子どものころから聞いていた 民族楽器 クラシック音楽、学生時代アルバイトした ホテルのラウンジで聞いた JAZZ・ラテンの音楽が大好きです。自分で多少の演奏はできても「いいな」と思うものとは遠い現実があります。そこで、演奏者も聞く側も双方が楽しめる場所を提供できたらいいのでは、と思うようになりました。

 

★漠然とこの業界に興味を持ったのは、将来どういう老後を送りたいかを考え始めた大学での就職活動の時だ。その時、自分が60歳になったら、仲間内で利益目的ではなく、楽しく雑談や音楽などができる「集まれる店」を仕事を辞めて、開ければいいなと思った。その時は本当に漠然で、将来の夢であり、可能性の一つ。実際出来なくても諦めのつく程度の考えだった。就職してからは本当に忙しい生活で、朝から晩まで働き、休みは月1~2日。仕事で関わる人以外ほとんど付き合いはなくなり、「集まれる店」という夢は一切考えなくなった。しかし、3.11の地震をきっかけに、「集まれる店」という夢を再び考えるようになった。私がいなくても、実際仕事は一人居なくてもどうにかなるもの。それよりも、死んだときに何人が泣いてくれるのだろうと考え、急に寂しくなった事が理由だ。その仕事は丸3年経験し、社会人4年目から現在の仕事へと転職した。転職してからは昔と違い自分の時間が持てるようになり、就職してから切れてしまった交友関係を戻そうと沢山の飲み会を開いた。その時、就職してから私と同じように「交友関係が切れてしまった人」が沢山いることを知った。それからは将来「集まれる店」を持ちたいという夢は実現したいと思うようになった。現在社会人5年目。

 

★介護の仕事をしている時に、ある一人の入居者様が病院の食事ではなく、ホームの食事を食べたい。とのことで、リスクを抱えながらホームに戻ってきたことが大きなきっかけとなりました。

 

★自分は美味しい物を食べ美味しいお酒が飲めるお店を持っているオーナーがとてもうらやましいと思っていました。自分のお店でそんな提供が出来、皆が喜ぶ笑顔を見たいからです。オーベルジュみたいなことはとても出来ないけど少し美味しくて少しのお酒が飲めて皆が気持ちよく過ごせる癒やしの空間を提供できるカフェレストランのような店を経営出来たら嬉しいと思っています。そんな訳でこのカフェ業界を勉強させて頂いています。

 

★現在の仕事を始めた頃、この仕事は自分に合ってないのではないかと感じました。楽しく仕事がしたいと思い、カフェバーの様なお店を開きたいと思いました。以前から料理を作るのは好きでした。また、ストレスを感じている時だった為、同じような思いをしている人がリラックスして、楽しい気分を味わえる空間を作りたいと思いました。

 

 

★母が自営業の為、夕食作りは私の仕事でした。母はよく近所の友達に、「娘がこんな物を作ってくれたよ」と自慢していた事は、子供心にも嬉しかった記憶があります。高校生の頃、母に頼んで買って貰ったのが、ガス代の上に直接置いて使うオーブンでした。レシピ本を見ながら、見よう見まねでクッキー、パン、シュークリームをよく作っていました。それを家族や、近所の方におすそ分けするのが楽しみでした。他人に褒めてもらうと、次は他を作ってみよう。と創作意欲が湧きました。その頃から、将来、喫茶店を開きたいなと思いました。

 

★小学生の頃からバレンタインでお菓子を作るようになり、自分の作ったお菓子を喜んで食べてくれるのが嬉しくて、飲食業界に興味を持ち始めました。

 

★私は学生の頃、ファミリーレストランやディズニーランド内の飲食店でアルバイトをしていました。お客様と接し、会話をする中で、笑顔が見られるととても嬉しく、仕事へのやりがいを感じていました。また、自分自身も個人経営をしているカフェに行くことがとても好きです。お店の音楽や内装の雰囲気、オーナーの人柄、おいしいオリジナルメニューなど、チェーン店とは違う魅力の詰まったカフェで、友人や家族、大切な人と過ごす時間は、有意義で充実しています。おいしいものは、お腹だけではなく気持ちも嬉しくなり、笑顔になって、心も満たさせる思いがします。普段の生活の中で、自分が作った料理やお菓子を、家族や友人が食べて「美味しい。」と言ってくれるとすごく嬉しいくなり、今度はもっと美味しいものを作れるようになろうと感じます。そして、レシピを調べたりする中で、料理に興味を持ちました。                                     

 

★私は33年間大阪で保育士をしていました。2年前に夫が東京に転勤になり、当初は単身赴任をしてもらっていたのですが、家族がバラバラで過ごすことに疑問を感じ、私も仕事を早期退職して、昨年の4月に東京に引っ越ししてきました。4月以降年末まで、身内の会社の事務の手伝いをして、保育士以外の仕事をしていましたが、今年からは専業主婦になり、今後の人生をどのように送っていくかを夫と一緒に考えはじめました。会社員の夫がすぐに仕事を辞めて、何かを始めることもできないので、2人でセミナーに参加したり、ネットでいろんな情報を集めていくうち、昔から憧れていたお店のオーナーになれたらいいな・・・と考えるようになりました。そんな時、リライブの存在を知り、2人で体験授業に参加させてもらいました。ワクワクしながらの参加でしたが、とても興味深く、もっと学んでいきたいとの思いが強くなり、その時点で自由のきく私が入学することを決めました。ゆくゆくは夫も退職後、学ぶ機会をもち2人でカフェのお店を地元(墨田区)でオープンさせたいと思っています。

 

★もともとフードビジネスには興味がありましたが、現実的になることはありませんでした。私は30代からビジネスを始めましたが、物販が主でした。当時、私たちの物販ビジネスでは、ある程度のビジネスが軌道に乗ると、次は飲食と相場が決まっていました。ですから今でも少しエッジなカフェやレストランの運営は裏を見るとオーナー会社はファッション業界だったりします。良い例がサザビーリーグ運営のスターバックスだったり、JSバーガーはジャーナルスタンダードだったりしますが、最近はセカンドウェーブのカフェブームによってますます、伊勢丹のバイヤーがプロデュースをしたりと本来の飲食業界からではないところから新しい流れができていると思います。ここまで書くと、では私も同じ潮流なのか?というとまた少し違います。しかし、もしかしたら、ある意味少しだけ同じような部類なのかもしれないと思ったので書きました。では私がなぜカフェを今になって開業しようと考えたのかというと、それは、今まで自分の描いてきた人生の中でのひとコマをどうして描かずに、また表現せずに通り過ぎて行くのだろうと思ったからなのです。私は自分のビジネスをいつも絵やデザインとして例えます。それは、自分の中から湧き出てきたイメージを何度も描き、それを確実なカタチにしていく作業です。自分のイメージを現実のカタチに仕上げてゆく工程は代え難い喜びです。それが今回は飲食、フードビジネスだったということです。立派なレストランを持ちたいとは思いません。いまのイメージは、自分でなければできないカフェです。それは真似ではない、他にはないものとなるはずです。そういうカフェを描きたいと思っています。

 

★私は大学生の時、北海道・美瑛町に旅行に行きました。その際立ち寄ったカフェで、おいしいコーヒーとパンを素晴らしい景色の中でいただき、感動と幸福感を覚えたのがきっかけとなりました。                           その後、銀座のカフェレストランでアルバイトしたときも、とても楽しくやりがいを感じました。

 

 

2.カフェ開業の夢に踏み出そうとしたキッカケ、決意

 

★現在、私の親戚が土地と建物を貸しているドラッグストアがあります。そこには狭い場所ながらプレハブの商業スペースがあります。これまで焼き鳥屋、クリーニング店と続いていますが、いずれクリーニング店が撤退したら、そこでテイクアウト式のドリンクバーを開業したいと考えています。だれにも雇われずにだれも雇わない、これが小規模出店のコンセプトです。そのためには、ドリンクのスキルを磨き、プランニングを学ぶことが不可欠です.移動販売車から小規模出店とキッカケは変わりましたが、食に対する熱意はおなじです。まだまだ学ぶべきことを少しずつ身につけたいと思っています。

 

★実家の立地環境を改めて見直すと、朝・夕方は国道渋滞の抜け道でもあり、バス停も目の前にあるバス路線沿いです。バス路線を挟んだ南側には老人ホームがあり、その奥にある総合病院は十数年前から増床を繰り返し、数年前からはドクターヘリを受け入れる大きな病院になりました。また実家東側に徒歩15分程度の場所には高専、大学、女子大もあり、その学校行きのバスも実家前を通ります。ピンスポット的に人が集まるエリアでありながら、この近辺は意外とカフェが少なく、大学前に個人店が1件、病院内にチェーン店が1件あるだけです。田舎にありがちなオールマイティーな喫茶店ではなく、学生と病院関係者(職員・患者・見舞い客)にターゲットを絞り込み、イートインとテイクアウトも楽しめる山口には珍しい本屋併設カフェを開業する事で、本屋の既存客層に+αな顧客を生み出せると思い、開業の決意をしました。

 

★人生が1度しかなく、自分が現役で思いっきり働ける時間もあと20年そこそこと考えたとき、「自分は自分の命題である中国文化というテーマについて何か満足のいくことを成し遂げたのだろうか?」という疑問が頭をもたげました。ちょうどそんなとき、勤務する会社の業務において今後自分の満足のいく媒体を制作できる見込みが無くなるという状況となりました。また、日本の中国茶の市場として①良質の中国茶を提供でき、中国茶の魅力を伝えてくれる飲食店が日本にはまだ少ないこと ②日本の飲食店で提供される中国茶の種類がまだ少ないこと(とくに一般の若年消費者にも受け入れられそうなフルーツフレーバー添加系のものなど) ③高齢化社会が進む中で「医食同源」の真髄である中国茶の良さ・効能が注目される社会的な素地が形成されつつあること などを実感するようになりました。さらには、昨今の日中関係の悪化をみるにつけ「こんな未来にするために中国語を学んだり中国関係の仕事をしてきたのではない」と思い、いま日中関係において決定的に足りないものは「文化力」であると痛切に感じるようになりました。その「文化力」を一部の中国茶ファンのみならず広く日本人に向けて発信する1つの媒体が「中国茶専門カフェ」です。以上のような理由から、資金的にも何とか目途がつきそうになった今、独立開業を決意した次第です。

 

★一つには、Webディレクターという仕事を7年間経験したうえで、自分が長く続けていける分野、自分が興味を持って学び続けられる分野は、やはり食の分野であるという確信を得たこと。また一方で、自分でアイデアを出して形にし、自分の責任で物事を動かしていきたいという気持ちが強くなってきたことが、夢に踏み出そうとしたきっかけです。私が目指しているのは、働く女性や単身者の方に、日常的に利用していただけるテイクアウト専門の惣菜店です。働く女性が増える中、経済的でおいしいテイクアウトの食品は、今や食生活に欠かせません。健康志向の高まりも相まって、野菜不足を惣菜で手軽に補うために利用する消費者も増えています。外食産業が伸び悩む現在も、「中(なか)食産業」と呼ばれる惣菜ビジネスは安定した伸びを見せており、今後も期待できる分野と言えます。地元に密着した展開を目指す中で、将来的には地域の雇用創出にも貢献していきたいと考えています。

 

★友達が行列のできるカフェの店員で、そのお店に遊びに行ったときに、スタッフには若い人たちが多く、スタイリッシュな空間とスタッフの仕事ぶりに刺激を受けた。その時に頼んだカフェラテに、とてもかわいいラテアートが施されていた。それを見て、ほっこりとした気分になり、うれしくなった。この気分を自分でも提供したいなと感じ、開業に踏む出そうと思った。最近行列のできるカフェに行くと、クレープ、パンケーキやフレンチトースト等、店の売りになるメニューを中心に展開している。そういうメニューや出店したい地域の風土に合わせていくことで差別化を図り事業展開していきたいと考えている。資金面では少しだけ用意が出来た為。

 

★経営や営業もすべて自己流でしたし、きちんとした知識を持っていればもっと満足できる仕事ができたかもしれないと欲も出てきました。そして震災後、以前より集客が落ち、下げ止まり、多少は持ち直しましたが、それが潮時と考えました。プロの実践経営学を学び、特色のあるフードメニューを充実させれば思い描いていたものに近づける、と第二の人生の準備を始めたくリライブフードアカデミーへの入学を決めました。

 

★会社の定年までは後4年ありますが、東北大震災、原発事故により生まれ育った自宅から避難することに、家族がバラバラとなりました。家族が一緒に生活するために新しい仕事を家族と一緒にしたいと言う思いが大きくなり、定年後に考えていたカフェ開業したい思いが以前より強くなったことが再びカフェ開業を考えたキッカケです。実質、定年までは後数年あり、私が考えていたライフサイクルとしては少し早いのですが、新天地で家族と共暮らして、一緒に自営の仕事がしたい思い以前からの夢であったカフェを開業したいと考えます。退職金を開業資金とすることができ、家族の協力の上、開業の夢に踏み出す決意をしました。

 

★友達は「やることがない」、「居場所がない」のような言葉を口にしました。周りの友達を見まわすと、ほとんどの友達は似たような傾向があります。今は物すごく頑張っているものの、いざ定年や子供の独立といった人生のイベントに直面すると、自分がどうすればいいのか分からなくなってしまいます。このような友達のために、自分ができるのは、何かしらの空間を作り上げることです。友達が必要な時にいつでも気軽に来られる空間。「カフェ」に辿りつきました。

 

★子供が社会人になり自分の時間がもてるようになったことで、カフェの夢を再び持つようになった!          パン教室に通うことで、喫茶店でパンを焼きながら、スイーツも出せたらと思うようになり、カフェの学校を探して、リライブを知りました。出来ればバリスタも所得したい!また、将来はお店をやりながら、オプションにも参加して、知識を広げていきたい。

 

★夫婦で還暦をすぎましたが、人生百年という時代です。パートを続けながら、健康であるならば 一日でも長く仕事をしたいとの思いは常にありました。 資金の目途もつき、まず一歩踏み出す本当に最後の時であると決意しました。個の時代 これからの自分も成長していくために人とつながる小さな居場所をつくりたいと思いました。

 

★私は前職で営業として働いていたのですが、大学卒業後、社会人へと特に目標もなく、流れで就職先を決めてしまいました。しかし、自分が本当にやりたいことは何だろうと考えました。そして私は自分でカフェを経営したいと思い、スクールへ通う資金とある程度の開業資金、技術を身につけるため飲食業界への転職の準備が出来たため、開業の夢に踏み出す決意をしました。

 

★彼が歳になって塗装の仕事が無くなってきたから、店をしたいという事になって、2人でドッグカフェを切り盛りできたらいいと思ったのと、彼が店を出来なくなった時私ひとりでも店を出来るようになっておきたいと思い、私でも通える学校が無いかと探したら、リライブがみつかった。

 

★要員不足で休みが入らないだけではなく、乗務もかなりキツクなり、体調不良の人が多くなってきました。電車運転士になり約10年経ちますが、機関士へのハシゴは一向に見つからなく、決められたレールの上しか走れない。その中、カフェ学校というハシゴを見つけたのと、鉄道ブームで世の中では一般にも周知されてきており、方法と需要の目途がついた為、これは今しかないと思い、開業の夢に踏み出す決意をしました。

 

★昔はそれほど言われる事が無かった食物アレルギーの子供が増え、口に入れるものだけではなく、間接的なものでも命に関わる事をテレビで特集していて、その中で「楽しみのはずのおやつが何時も同じものばかりでかわいそう」と言った親の言葉に、あるパティシエが作ったアレルゲンフリーケーキを満面の笑顔で子供達を見て、そんな親子が安心して行けるカフェを作りたい、ケーキ専門店ですらやっと取り寄せで食べられる様になったくらいなので、まだまだ草の根運動ですが、1人でも多くの人に笑って飲んだり、食べたりしてもらえたらと思います。

 

★そんな時に、私が第二の人生について考えたことが2つあった。一つは料理である。50代の後半を過ぎてから、私は帰宅の遅い妻に代わって夕飯を作るようになってきていた。包丁を持ったこともなかった私が、いつしか月曜日から金曜日まで夕飯を作るようになってきた。そして気づいたことがある。料理作りは決して嫌いではない。いやむしろ好きであるということである。では、その料理を第二の人生にどのように位置づけるか?そこで思い出したことがある。若い頃に考えた”喫茶店”の事である。そしてあらためて感じた。勤めていたこの40年近い間に多くのものが変わったが、街にいわゆる喫茶店がなくなってきた事もその一つである。私がコーヒーを飲む場所もいつの間にか、簡素な座席とセルフサービスが主体のチェーン店になってきた。カプチーノを始め、様々なコーヒーのメニューは増えたが、重厚で豊かな香りとくつろぎの空間はなくなってきたように思う。私自身が行きたいと思う店がなくなってきたのだ。そして私は、第二の人生のスタートに際して、若かった頃の私が何よりも大切に感じたコーヒーの香りが醸し出すくつろぎの時間、そして豊富とはいえなくとも、私の興味・関心が生かせる充実したランチのメニュー。そのことが私にとっての当面の目標と思われるようになってきた。すでに二人の子どもも成人し、妻もまだ何年間か勤めを続けられる今、自分の希望を是非とも実現したいと考える。

 

★年々ケーキビジネスに向かう気持ちが大きくなり本格的なケーキデリバリーのお店の出店もまなく会社にこのまま居て夢を叶えずに定年を迎へてからスタートしても頑張れるか不安になり 会社の向かう方向にも疑問を持ち始め50歳を迎えたのをきっかけに夢に向かい踏み出しました、デリバリーのお店はビジネスとしては、その日にケーキを作りその日にお客様の元にお届けする、誕生日メインでお客様の誕生日管理と家族情報を元に展開して、いずれはお祝いごとや記念日にお届けできる商品を作り出し、さらにお店のチェーン展開ができればオーナーとなりお店を増やして行きたいです、始めるのにあたっては以前の仕事でのお客様と営業仲間にお店の宣伝などお願いをしてさらに地元への宣伝などを進め美味しいーオリジナルケーキをお客様にお届けできるお店にしたいです。

 

★リライブアカデミーを見つけ一歩踏み出した今、前進あるのみです。若干開業資金に不安はありますが、学んだ事を余さず吸収して自分のものにしていきたいです。そして集客の見込める場所で頑張り家族楽しく暮らしていきたいです。

 

★現在の職場に対して不満もなく、やり甲斐も感じていました。同時にこのまま調子で行けば、それなりに出世もできるだろうと考えていました。しかし、今年、自分の中で考え方が変わってきました。義母は、料理が上手で将来、夫が先立たれた後、娘たちと小料理屋を開く夢があったことを義母の友人から聞きました。夢が叶わず、残念だっただろうという話す彼女たちも、ずっと夫や家庭のために尽くして自分自身を犠牲に好きなことを我慢して生きてきたことを感じました。私自身も人生の岐路に当たって、自分が心からやりたいことを選択せず、自分にとって都合の良いや無難な方ばかりを選んできたことを実感しました。その時、心の底から湧いてきたのが、妻と通ったカフェのような落ち着く空間を義母の友人たちと一緒に作りたいという思いでした。妻の実家がある兵庫県加古川市には、昔ながらの喫茶店ばかりで、カフェはほとんど無いため、自分たちと同世代もしくは若い世代の方々にとっても、最寄りのコミュニティとなれると考えています。

 

★昨今、若者の間で、雑誌やインターネットを媒介として「暮らすこと」が見直されてきています。特に目を引くのが、食に関する本や雑誌の多さです。一人暮らしの人が帰ってからすぐ作れるようなレシピが載った料理本や、作り置きおかずを使ったお弁当の本が、本屋の料理本のコーナーで大きな位置を占めています。若手の芸能人が自分のレシピを紹介するといった形式や、料理に不慣れな人でも手に取りやすいよう装丁にこだわったものまで、20~30代をターゲットにしたものが多く出版されています。暮らしが注目を集めている今、仕事後の遅い時間でも定食が食べられたり、バランスの良い食事ができるカフェが、不規則な食生活になりがちな若者に喜ばれるのではないかと考えています。私自身会社勤めをして、忙しいなかで自分の暮らしを整えることの難しさを痛感しています。だからこそ、忙しい若者に気軽に通ってもらえるようなカフェができるのではないかと思っています。

 

★カフェに行く機会が多々あり、また近年では様々なコンセプトのカフェが出てきていますが、自分の満足のいくカフェにあまり出会えなかった事もあり、やはりカフェで働きたい、自分の望むカフェを作りたいという気持ちが諦めきれませんでした。また自分が開業したい地元ではここ数年で住宅が大幅に増え、都市郊外の住宅地になってきているものの、そういった落ち着けるカフェが駅近くまでいかないとあまり無い事、また社会に出て、働き始めて開業資金の目途もついてきた為、再び自分の夢に踏み出す決意をしました。

 

★ふらっと入ったカフェに入ると、そこは木目調の店内にはコーヒーと甘いタルトのいい香りが立ち込め数人のお客様がそれぞれの時間を楽しんでいる光景を見てこれだ。と心に熱いものが湧き出てきました。メディアや雑誌などでおしゃれな街のカフェ特集やパンケーキや朝食に特化したカフェなどがよく取り上げられている現在、ふと私の地域に目を向けてみると、住宅地であるにもかかわらずカフェは一軒だけ。一人でゆっくりどころか親しい友人との憩いの場所すらないのです。前の会社を辞めて3年近くなりますが私は再び開業の夢、カフェを作りたいと再奮起し決意しました。

 

★過去のアルバイト経験と、現在の仕事内容から、食事とお酒が楽しめることと、住まい探しが同時に出来たら、なんて便利だろうと考えるようになりました。友人や恋人と食事をしながら、一人暮らしや二人暮らしの住まいの相談が同時にできたら…と思うようになりました。そのような場を提供するお店はまだないと思い、商機があると感じています。開業にあたり、地元の友人も賛同し、一緒にやっていこうという話がまとまったため、開業にむけて動き出そうと決意しました。

 

★「一度しかない人生、一番やりたいことをしよう!」という決心と、それができる環境が整ってきたこと、この両方が踏み出そうとしたきっかけになりました。

 

★転職してから、高校の時に中途半端で辞めてしまったブレイクダンスに再度挑戦してみようと思いダンス教室に通い始めました。ダンスに関しては近年急激に伸びてきている分野であり、ダンス教室の数も増えてきています。ダンスはヨガ等の特殊ダンス以外は基本的に小学生がメインです。そのため必ず保護者の送り迎えがあり、小一時間の為にその保護者は時間を割いています。私は、その時間を待つことができる場所があれば凄く助かるのになと思いました。保護者としても、子供が見れれば安心。さらに子供の成長が見られる事や、保護者同士でも交友関係や情報交換が出来るようになります。小学生以外でもダンスが終わった後に、わざわざ集まるのではなく、お茶ができれば友達も増やしやすいし、通いやすいと思います。ならば、ダンス教室とカフェを組み合わせたら成り立つのではないかと考えたのがキッカケです。固定客を見込め、ある程度の確実な売り上げは確保できます。さらに、世間でもカフェが流行り、女子会という集まりがある事も後押ししてくれます。「集まれる店」を持ちたいという夢は叶えますが、それまで就きたい仕事がない現在。利益目的でも夢を前倒しにして確実に夢を実現しに走ってもいいのではないかと考え始めました。どうせ、目標は達成するのに予定より月日が延びます。諦めるくらいなら、今動けば年齢的にも肉体的にもフットワークが良いです。幸い、前職で営業も仕入れも広告宣伝も、目標や利益計算も、事務処理も全部行ってきています。扱う商品、そしてゼロからのスタートと違うところもありますが、やり方はどの仕事でも同じだと思っています。今回、学校に通うことにした理由はゼロスタートを切る上での必要情報の為です。もちろん、技術等は私にはありませんので、お店を開くのであれば、食とドリンクの技術や知識も必要になります。ですが、最終ゴールは「集まれる店」です。そこはブレずに進みたいので、出店は地元近辺で考えています。ですので、地元が利益を上げる場所として「良い」と判断出来なければ、やらないつもりでいます。そして、今現在はカフェとダンスで考えていますが、これも時代とタイミングの発想だと思っていますので、変わる可能性も十分あります。何年か経ち、違うカフェのやり方の方が利益が望めるのであれば変更します。

 

★もともと料理をすることは好きだったので、要介護者が、家族と同じもの(見た目が同じもの)を提供できないか。好きな食べ物を提供できないか。という思いがどんどん強くなってきました。両親の援助もあり、調理師の資格を得ることが出来、少し前向きな考え方をすることが出来るようになりました。調理師学校では、介護食士の3級を取得し、介護食についても理解が出来るようになってきました。外食の機会があっても高齢者の方には、食べにくかったりするメニューが多いことを感じていたので、家族がそろって楽しく外食が出来るカフェを作りたい。と思い踏み出す決意をしました。                                                        

 

★現状のままでは3年後の夢の実現に間に合わないと思い今から準備するために動き出しました。

 

★今の仕事にも慣れてきましたが、それでもカフェを開きたいという思いは変わりませんでした。世の中は、普通や平凡を嫌う傾向にあり、「特別感」を味わいたいという人は多いと思います。また、現代人は多くのストレスを感じて生活しており、リラックスできたり、特別感を味わえる空間を求めていると思います。そんな空間を作りたいと思い開業を決意しました。また、長野(地元)での開業を考えているのですが、コーヒーチェーン店に並んでコーヒーを買う人も多く、カフェというものに興味があると考えます。新幹線も走っているため集客は期待できると思います。

 

★きっかけは、いろいろなタイミングだと思います。まず、子育てが一段落したこと。主人は、以前からやりたかった仕事があり、その為に会社を退職したこと。幸い両親も元気でいてくれてます。私も何か仕事をしようと求人欄を探して、いろいろチャレンジしてみました。やはり、“食”に関わる仕事を求めてしまいます。そんな折、知人の依頼で手伝った野菜直売所の販売の仕事は、地元の生産者さんと知り合うきっかけになり、頂いた野菜を利用した試食作りはお客様に大変喜ばれました。リピーターが増え、いつしかその直売所は試食を食べさせてくれる、目新しい野菜の調理方法まで教えてくれると評判になりました。今思うと、そのあたりから、私の中にあった、食に関わる仕事→惣菜を売る→野菜を使ったメニューを提供するカフェ。にたどりついたのだと思います。近い将来は、私のカフェの2階に主人の為の小さな事務所を作ってあげるつもりです。

 

★大学を中退し、飲食のアルバイトをし始めてから、綺麗に洗われてないお皿や新鮮でない食材、盛り付けなどを見て、せっかく来てくれたお客様にこんなおもてなしでいいのかと感じました。たしかにチェーン店なので仕方ない部分もあるのだとおもいますが、来店してくれたお客様には、また来たいと思って欲しいです。これがキッカケで、清潔で美味しく、見た目もおしゃれな品を提供できるお店を開くという目標を立てました。まずリライブでプランニングを学び、最終的なお店の全体像を明確にしてから、調理や製菓の技術を習得し就職して、開業に十分な資金が貯まったら、開業へ進んで行きたいと考えています。

 

★1年前、父が病を患い、食生活に配慮をするようになりました。食材・調理方法など自分なりに勉強し、父の病気が改善されるよう日々食事を作る過程で、食の重要性を知るとともに、ますます食に興味を持つようになりました。また、学生のころからずっと携わり、興味のある美術を通し、様々な作家の作品をもっと身近に、そして気軽に展示・鑑賞できる場を設けたいと考え、ギャラリーのあるカフェを開業したいという思いがとても強くなりました。専門学校で調理や開業に関する知識・技術を身につけたこと、10年間の社会人を経て開業資金への目途がついたことで、夢に踏み出す決意をしました。

 

★今まで立ち止まることなく忙しい毎日を過ごしてきましたが、東京という今までとは違う環境の中で、ふと立ち止まりこれからの残りの人生を悔いなく過ごすために、一歩踏み出そうと思いました。

子育て中の若い世代やリタイヤ後の世代の人々が、ほっこりできる空間を提供できればいいなと思っています。お洒落なカフェというより、気軽にフラッとお店に入り、美味しいコーヒーとランチを食べて、元気をもらい又来たいなと思ってもらえるようなお店を目指しています。

 

★それはこの学校を見つけることができたからにほかなりません。ある日、検索をしていて偶然にこちらの学校を知りました。もちろん他校も調べました。資料も送られてきました。そして何度か誘いの電話もありました。けれども今はウェッブで、検索方法すらわかっていれば、いくらでも、学校の評判やクチコミを調べることができます。最初に鷲尾先生にお会いしました。アポイントが無いにも拘らず、その日に先生は丁寧に説明をしてくれ、相談にのってくれました。その後、数回、先生にまた説明を伺いに行きましたが、先生は、最初の時と全く変ることのない対応でした。他のスタッフの方々も同様でした。それが学校自体を信頼することができた大きな要因です。そして、私はあるクチコミを見つけましたが、それが最後にひと押ししてくれたのだと思います。鷲尾先生の人柄とそのクチコミのおかげで、この夢を現実的なものにしました。それから、クラスがスタートする数ヶ月前に思い切って、生まれて初めての飲食でのアルバイトを始めました。年齢と未経験ということでとても消極的でしたが、運良く、この数年の流行りのブレックファスト系の店に入店でき、そこで相当イジメを受けましたが、2ヶ月ほど我慢をして、その店のキッチンの中のとても狭い世界を知りました。しかし、早朝から苦労して覚えたことは、絶対に捨てることができません。私の生きてきた中で一番耐えられない嫌だった経験だったわけですから。でもおかげさまで本来、楽観的な私は、その嫌な経験をいくつかの財産に変え、ある小さなビジネスチャンスすら閃めくことができました。夢の扉を今まさに開く私にとってとてもラッキーな経験だったのだと思います。そして私の店では誰ひとりとして嫌な思いをさせないでスタッフを教育できるでしょう。

 

★大手コーヒーチェーン店が駅前の一等地に軒を連ねるようになった近年、コーヒー自体は以前より親しみ易い存在になってきたように思われます。最近ではコンビニエンスストアでも「本格コーヒー」と銘打って商品を提供するようになりました。 しかし手軽に飲める一方、味はもちろんメニューやサービスも画一的で、心を満たしてくれる程ではありません。何気なく入った店で、絶品のコーヒー一杯に出会ったときの感動はまさに幸福をもたらす事を私は知っています。 また、お腹を満たすだけでなく心をほぐしてくれるようなスイーツや昔ながらのナポリタンなどに出会うと、ささやかな休憩時間が至福の時間になります。 東京でもそんな店は簡単にはみつかりません。 ならば、自分で作りたい。お客様が幸せになれるカフェを作るため、20年以上働いて貯めた資金を元に自分の夢に挑戦したいと思います。

 

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